余計な親切が人生を変える?余計なお世話でもええじゃないか!
心臓をバックバクに鳴らしながら、
隣の人にフリスクをあげた。
笑って受け取ってもらえただけで嬉しい。
親切ってのはそういうもので、
人に感謝されて自己満足に浸るために、
詰まる所、自分の為にする、
一方通行の行為だと思うんですよね。
余計なお世話と紙一重な、
一方的に寄せられる恋愛的行為よりも気持ち悪い、
でも然るべき時に然るべき場所で、
然るべき人にしてもらうととびきり嬉しい、
そんな行為だと思うのです。
される側にとって嬉しいかどうか、助かったかどうかはされる側が決めることであって、
する側はただの自己満足な訳ですから、
喜んでもらえなかったからといって不満に思ったり、ましては怒ったりしてはいけないわけで、
むしろ申し訳ないと思うわけなのであります。
私の為に親切させていただいて、ありがとうございます!くらいの心意気で、
あなたの迷惑にはなるかと思いますが、くらいのへり下り方でする親切こそ、
お互いに幸せになれる親切だと思うのですよ。
もう少し語らせていただきたい。
親切は、定期的にしなくちゃ鈍りますね。
「親切心」が鈍ることはないわけで、これは親御さんや友達や、その他諸々周りの方々があなたのために育ててくださった一生消えない宝物な訳ですが、
それを「親切」という行為に移す実行力、行動力、瞬発力は鈍ります。
間違いなく、鈍ります。
これは本当にそうで、「ああ、この人困ってるな、助けてあげたいな、助けてあげたほうがいいのだろうな」なんて思いましても、
普段から親切をしていなければ、身体が金縛りにかかったように動かなくなるのです。
おかしいな。動け、動け!
そう思っても、なんだか手や足が震えて、汗なんかがじわじわと出て来ます。
助けるほどでもないんじゃないか?変な人だと思われたらどうしよう?
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。
そうしているうちにもう、誰かが代わりに親切をしているか、その人が自分で解決してしまっています。
溢れ出す罪悪感。後気味の悪さ。なんだか周りが自分のことを責めている気がする。
だから、僕は定期的に、意識的に親切をするようにしています。
余計な親切です。喜ばれないことの方が多かったりします。むしろ迷惑だったり、怖かったりするかもしれません。
でも、自分の為に、親切をするのです。
いつか、本当に困った人が目の前にいた時、身体が動くように、すぐに助けられるように、手遅れになる前に。その時、後悔しないように。
なんだかんだと偉そうに語ってしまいましたが、
何があったかって、隣の人にフリスクをあげただけです。眠たそうだったので。
知らない人に食べ物もらうのって、こわいですよね。気持ち悪いですよね。余計なお世話だったかな。そんなことを思ったりしながらも、
清々しい気持ちでいっぱいです。究極の自己満足ですね。笑っちゃいます。ごめんなさい、隣の人。
でも僕は、そんな余計な親切を、続けていきたいと思うのです。自分の為に、未来の自分のために。
フリスクをあげたって出来事をこんな長々しく語れる人って他にいます?いないでしょうね。
まあ、僕は天才ってことです((皆さんごめんなさい
こんなところで、独り言を終わります。
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特典なんてありませんよ!なんたって、これはあなたから僕への「余計な親切」なんですから。
ではでは、また後ほど!!!
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